学習・生活・コミュニケーションに困難がある人のための相談室
Director’s Talk NO.3

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子どもの個性

学校には「明るく、仲良く、元気よく」といった標語が貼ってある。「暗く、一人で、おとなしく」という標語は見たためしがない。どうしてだろうか?親もその環境で育ってきたため、自分の性格はどうあれ、子どもには「明るく、仲良く、元気よく」を望む。みんな性格や認知特性が違う訳だからそんなに明るく元気に毎日できる訳ではない。

暗く静かで友達ができない子どもは親も子ども自身も心配になる。一方、元気が良すぎる子どもやいつも一人で過ごす子どもも問題視されやすい。そして先生の手に負えないと、発達の専門機関に相談を勧められ、多くの子どもは診断名をもらうことになる。そこで、なぜ上手くいかなかったのかやっと理由が分かったと親も子も安心し、医療機関で投薬を受ける子どももいる。果たしてそれでいいのであろうか?

 

「教室内で多動で困っているのですが?」と尋ねると「ADHDかもしれません」と答える専門家がいる。

「勉強が分からないからゴソゴソしているかもしれないとは考えられないですか?」と問うと、「それならLDかもしれません」と言う。

「それならなぜ勉強が分からないのですか?」と問うと、「LDだから読みが苦手なのかもしれません」と言う。

「それならなぜ読めないのですか?」と問うと、「ADHDで集中できないからです」。

 

堂々巡りで全く意味がわからない。そんな会話を聞くと私の怒りは爆発する。

診断名をつけて説明するだけで結局様々な悩みの関連も分からず、前に進まない。ゴソゴソするなら個別に分かる話をしてみたらいい。静かな環境で授業してみたらいい。教材を分かるものに変えてみたらいい。漢字を書くのが遅いなら時間をゆっくりかけたり、タブレットを活用してみたらいい。そんな介入を比較してみるとその子どもがどうやって学べばいいかがわかってくる。彼らは病気や障害ではない。人と違った学びが合っているだけである。

「人と同じでなくていいよ。人と同じ訳がないんだから。」と言いながら子どもを育てればいい。そんな関わり方が、自分が好きで人のやらないことを堂々と進めていける子どもを育てて行く。学校で人と違うことを指摘されたらそれはチャンスだと思ってもいいかもしれない。そんな親子を僕たちは応援し続けたい。

 

 

子どもの国際化

 

ロサンジェルスを訪れるといつも同じホテルに宿泊する。90年代にあった日本食メニューが無くなり今は中華料理のメニューに置き換わった。空港の表示やアナウンスもいつの間にか中国語にシフトしている。世界の中で日本の勢いの低下は至るところに感じる。

80年代以前はインターネットもなく、国際電話も高額でなかなかかけられなかった。アメリカであっても小都市だと詳しい地図も入手しにくくとりあえず現地に出向くしかなかった。エアメール(この言葉も死語になったが)に書いてある住所だけが頼りである。空港についてレンタカーオフィスで地図を入手し、地図を見て走り出す。走っては停まり、道を確認し、目的の町についたらガソリンスタンドでまた地図を購入し事務所を目指す。いつしかそんな経験を積んでいるうちにどこに行くのも怖くなくなっていた。準備しようとしても十分できず、とりあえず行動に移すしかない時代であった。

今や世界のビジネスの目は、成長が止まった北半球から未整備で未開発の南半球に向いている。インターネットが普及し、世界のどんな場所においても多くの情報が入手できるようになってきたが、南半球の情報はまだ十分ではない。未整備で危険の多い場所も多い。教育の中でも国際化はキーワードである。幼少期から英語を学んだ子ども達は、かつてのビジネスマンよりもはるかに上手に英語を話すようになるだろう。インターネットを駆使する子どもは、現地に行かなくても現地スタッフを雇用してビジネスができると考えるかもしれない。しかし、0から立ち上げる新しいビジネスの種はネットの中にはない。現地で何かを探し出すことこそが重要である。今の子ども達はそんな中に飛び込めるのだろうか?

かつての日本人は英語が下手でも国際社会に進出して行った。情報もほとんどない時代に海外に出て行くことは今以上に相当な勇気がいっただろうと想像する。英語が必ずしも上手でないかつての日本人が、かつてはいかに国際的であったかと思う。国際化は英語の上手い下手とは違うところにある。英語が上手にしゃべれなくてもいい。それでも海外に飛び出していける子どもに育って欲しい。